環境デザイン・アトリエ

横浜の建築家からのメッセージ。
日々感じた事を綴ります。

2016年2月13日土曜日

建築における「白」について

建築では、特に「白」が好まれた時代があった。
モダニズム全盛の頃(20世紀前半)はなんでもかんでも「白」だったけど、2000年前後の10年間程も「白」が好まれた時代だった。

柳田國男の「明治大正史 世相篇」を読んでいたら「白」について興味深い事が書いてあった。
柳田によると、明治になって、普通の民家でも「障子」が使われるようになった。
それまで板戸だったところに障子が使われるようになると、部屋が明るくなる。

部屋が明るくなると壁のシミ、食器の汚れが気になるようになる。
白木の食器はすぐにシミがついて汚くなるから、代わりに陶磁器、特に明るい部屋で見栄えが良い「白」い磁器が徐々に好まれるようになっていった、のだそうだ。

2000年前後というと、パソコンが白くなった。それまで黒とかグレー、アイボリーのパソコンに対して、Macが白いパソコンを出して、とても新鮮だったのを覚えている。

あれも、建築が白く(明るく)なった事と関係してた・・・かどうかは不明だけれど、確かに白いミニマルなデザインが好まれた時代だった。
画:hiromichi yasuda


14 件のコメント:

  1. 安田先生、おはようございます。

    今回は、記事の内容通り、建築の「色」についてお聞きします。
    私は建築学科の授業を受けたことがないためわからないのですが、建築家は色についてどのような形で学習なり研鑽を積んでいるのでしょうか。

    建築雑誌や建築家の著作を読みますが、あまり色についての言及はされていませんし、近代建築の五原則「ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面」にも色についての条件が見られません。

    しかし、建築の「色」に関する条件がなにもかかわらず、先生がおっしゃるように、近代建築はサヴォア邸のように白が基調にされています。

    私は、建築になぜ「白」が前面に出るのか、前々から不思議に思っていました。
    白い建築の方が、あとから施主が色を塗り替えやすいとかがあるのでしょうか。

    教えていただけないでしょうか、よろしくお願いします。

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  2. 小野寺さんこんばんは。
    ・・・難しい問いですね。
    建築学科でも、色彩計画論はあまり扱っていないと思います。
    建築学科で半期なり一年なり専門的にそれを教えているところは僕の知る限りないです。(インテリア学科などは色彩論を扱っていると思いますが・・・)
    しかし、だからといって、色彩を軽視している訳では無いのです。
    事実、設計事務所では、色彩を決めるのはかなり慎重になりますから。
    本当は大学でも色彩論をやった方がいいと思います。

    ところで、モダニズムで白が好まれる理由ですが、やっぱりモダニズムが登場した理由と言いますか、その過程を調べてみると、それまでの歴史から「切断」したかった、というのが大きな理由でしょうね。
    歴史的様式から一度縁を切りたかった・・・モダニズム運動の存在意義が、そこにあったからだと思います。
    タブララサって言葉にもありますね。生まれながらにして白紙といいますか、「白」は手あかのついた概念に染まっていないという特別な意味があるんでしょう。
    だから、白がそこまで、好まれたのかな、と。
    あと、清潔感や明るさなど白のもつイメージと、近代の価値観とリンクしていたから、でしょうか。

    ちなみに、「ザッハリッヒ」という概念があります。通常即物的と訳されていますが、素っ気ないというか、装飾的でないものですね。
    あと、ブルータリズムという概念もあって、これは1950年代にイギリスで注目されたのですが、直接的で生の素材を使う建築一般をそう呼びました。

    どちらも、建築では近代以降重要になった価値観ですが、今でも建築家を規定している概念の一つです。(少なくともモダニストを自称している建築家にとっては)

    鉄や木は、塗装をしないと耐久性に劣るのですが、出来れば素材をそのままの姿で使いたいと建築家は思っています。
    だから、プラスチックみたいな塗装済みフローリングや、壁の仕上にクロスを貼るのは、あまり好ましく思ってないんですね。ましてや、木のプリント(印刷)をしたフローリングや、打放しに見せたサイディングなんてもってのほかです。

    ちょっと話が脱線しましたが、「白」に並んで、これは近代以降、建築家が持っている重要な価値観の一つです。

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  5. 小野寺さん

    建築が他のジャンルに比べて、世界的な並列化が早かったというのは、おっしゃる通りでしょうね。カメラが普及した19世紀後半からで、やや遅れてモダニズムが世界に広がったのだから、おっしゃる通りだと思います。
    カメラや印刷技術あったから、「切断」を可能にしたのでしょうね。

    建築の近代化は、他のジャンルと比べると伝播するスピードは速かったと言えますが、「近代化」自体は、文学や絵画などと比較して遅れています。実際に、文学、そして絵画で近代化が始まっています。(と言われています)
    絵画は、印象派から近代と説明されることが多いのですが、その後、20世紀になってダダイズムという芸術運動がありました。
    それは時代を切断することが目的の芸術運動で、丁度建築のモダニズムと時期が重なっています。当然建築もその影響を受けたはずで、「切断」はそうした文脈からも説明できますね。

    ただ、1980年代後半の日本の建築界と、2000年前後の「白」の話は、小野寺さんの言われるような「切断」があったと言えば言えますけど・・・もう少し大きな歴史の流れから言ったら、「切断」と言えるかどうか・・ちょっと保留させてください。
    親父と違う事をやって、乗り越えようとする息子ぐらいの話かな?と。いつの時代も前の世代を批判して新しい世代が出てきますが、そのぐらいの話かな?と思っています。むしろ、連続していると僕は感じています。

    ちなみに、1950年代後半にネオダダという運動があって、若い頃の磯崎さんは、それに関わっていますけど、「ネオダダ」というくらいですから、こちらも規制の秩序を破壊しよう!「切断!」という運動でした。だから、という訳ではないですが、磯崎さんは「切断」が好きなんですね。小野寺さんの言う、1980年代から2000年代へ繋がる話は、磯崎さん的な物言いに似ています。

    最後に、ブルータリズムに対する小野寺さんの認識(木は木のまま、コンクリートはコンクリートのまま使えないという認識)は、小野寺さんのおっしゃる通りで、今後もその価値観でいくのかは僕も疑問に思っています。ただ、「色」が来るか?は、解りませんが。

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  6. 安田先生

    先生に、綺麗に論破されてしまったようです。

    『親父と違う事をやって、乗り越えようとする息子ぐらいの話』という部分で、岸田日出刀が、丹下は息子の世代でかなり意識していたが、磯崎新氏には孫のように接しており、また、その逆の関係性も見られた。という話を思い出しました。

    おそらく、切断という行為は先生のおっしゃる通りだと思います。
    しかし、ネオダダで「切断、切断」と言っていた磯崎氏本人が、丹下の正当な継承者です。丹下お得意の、弁証法的統一という方法論を受け継いだ人間が、磯崎氏本人でした。
    (磯崎氏は切断というポーズも、自分が継承者であるというポーズもうまかったわけですが…)

    そこで疑問に思うのが、やはり『1980年代から2000年代へ繋がる話』です。

    磯崎氏はその著書の中で「堀口捨己→丹下健三→磯崎新→妹島和世」という系譜を描きましたが、「堀口捨己→丹下健三→磯崎新」は明確にイメージできるものの、「磯崎新→妹島和世」のラインがどうしてもつながりません。

    私は、そこまで明確に切断現象が起きていないなら、この時代では何が受け継がれたのか。もしくは、このような表現よりも、この時代を境に、建築家が共通課題を持たなくなったあるいは持てなくなった、という表現が正しかもしれません。

    歴史的な観点からいえば、近視野になってしまい、答えにくいと思いますが、先生はどう思われますか。

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  12. どうやら、503エラーが起きて、連続投稿したことになったようです。
    重複コメントは削除しておきます。ご迷惑をおかけしました。

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  13. 「磯崎新→妹島和世」というラインは僕もよく解りません。(笑)

    ところで、その時代で最もエキサイティングなジャンルというは、いつの時代にもありますよね。
    例えば、18世紀後半の音楽。モーツアルトやベートーベン等が活躍しました。あるいは、19世紀後半の美術。特に絵画。パリを中心に印象派からキュビズムまで短期間に様々な様式が生まれたし、新しい様式を描くことを競いあっていた画家は今とは比較にならないぐらい活気ある状況だったと思います。
    20世紀初頭の物理学もそうですね。アインシュタインやボーアなど量子力学が著しく発展しました。

    2000年前後というと、僕は、コンピューター産業にその勢いを感じていました。
    ライフスタイルを大きく変えたという意味でも、スティーブジョブスとビルゲイツの争いはエキサイティングでした。ビルゲイツのWindowsやスティーブジョブスの、iPod、iPhone、iPadなど、近年のSNSに至まで、ビジネスモデルもライフスタイルも大きく変わりましたよね。

    時代の価値観というのは、そういうところに表れていると思うんです。
    2000年前後にスティーブジョブスがやろうとしたのは、素人でも簡単に使える、シンプルなコンピューターを作る事でした。
    Windowsに比べて、愛着のあるインターフェースや、簡単な操作、スイッチ等が少ないミニマルなデザイン、誰もが親しむ大衆化したパソコンでした。

    僕は、2000年前後の建築は、そんな時代の価値観と関係していると思っています。勿論、可愛らしい白いボックス建築も、そこに含まれます。

    ちょっと答えになっていませんが、僕が興味を持っているのは、そうした時代の価値観なんですね。

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  14. 先生、おはようございます。

    建築の歴史を振り返れば、建築はその時代の潮流に敏感に反応して、様式を変化さているように感じます。

    今回も答えにくい質問に応えていただき、本当にありがとうございました。

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