環境デザイン・アトリエ

横浜の建築家からのメッセージ。
日々感じた事を綴ります。

2013年4月30日火曜日

明治大学(堀口捨己+神代雄一郎展)

一昨日、堀口捨己・神代雄一郎展の記念シンポジウムに行った。
明治大学の青井先生が企画した展覧会とセットになったシンポジウム。

堀口捨己や神代雄一郎といったら、今の(建築)学生にはかなり馴染の薄い人だと思う。
堀口さんは19世紀に生まれた建築家だし、神代さんだって、1970年代後半から殆ど姿を消していたし。僕が学生の時には、メディアに登場する事はほぼ無かった。(と記憶している)

けれども、シンポジウムではそんな彼等に光をあてることで、今の建築家の「役割」を考えよう、という構成になっていた。


堀口さんは、1920年代に「分離派」というのを結成して、これは簡単に言うと、当時の建築の主流であった、耐震性や機能、性能、つまり「工学的性能的建築」に対して、「芸術としての建築」を主張した運動。

神代さんは、1970年代の「巨大建築論争」が有名で、簡単に言うと、都市開発で巨大な建物がバンバン建てられていた時に、ちょっと違うんじゃない?建築家はもっとヒューマンで優しい建物を考えようよ、と言った人。

いずれも、主流に対して、異を唱えた非主流派だった。(と理解している。)

何故、そのような話が現代に繋がるかというと、
今建築家の役割がとても揺らいでいる(と言われている)現状がある。

今回のシンポジウムを通して見えてきたのは、世の中に「建築家」という職業が生まれて以来、実は社会での役割が揺らいだり、活躍の場が怪しくなったりしたことが何度かあった。
その都度建築家(あるいは建築)を考えてきた人がいて、堀口さんも神代さんもそこに名を連ねている・・・ということだ。

明治大学に馴染のある二人(堀口・神代)を結びつけて、さらに現代の問題にまで繋げる、一ひねり加えた構成に・・・ヤルなあ、と舌を巻く。


画:hiromichi yasuda




2013年4月27日土曜日

神保町で個展を見てきた。

知人のアーティスト(民さん)が神保町で個展を開いた。
神田は古本を探しによく出かけていたが、最近はちょっと足が遠のいていた。

画廊がオープンするよりちょっと早めに行って、古本屋によってから、ギャラリーへ。

神田の街は、裏に入ると古い建物がちらほら残っていて、個展が開かれていたギャラリーも木造の趣のある建物だった。

民さんの作品は、お皿に釉薬を付けて絵付けしたもの。
色をちょっと大胆に扱ったものから、繊細な線画の物まで数十点。
それと、銅版画もいくつか展示してあった。

裏路地の、ちょっと下町の雰囲気の残る神田と、心地よいスケールのギャラリーと、民さんの作品が調和した素敵な展示だった。

画:tami fujie




2013年4月26日金曜日

子供にとっての居室

子供の居室の設計することになった。
で、考え込んでしまった。
子供の生活空間ってどんなスペースが良いのだろうか?

幼い頃の事を考えると、よく押し入れに入っていた記憶がある。
何をするでも無いのだけれど、スペースの狭さが心地よくて、干したばかりの布団が収納されてたりすると、その間に体を滑り込ませたりして。
日干しの匂いとフカフカした感じが気持ちよくて、眠ってしまったりして。

ニッチなところとか、ちょっと高い場所とか・・・
自分が好きだったスペースを思い出して設計してみよう。
画:hiromichi yasuda


2013年4月24日水曜日

最近「歴史」に興味がある

昨日、美術史のレクチャー(夜会)を聞きに行った。
とてもプレイベートな集まりで、講師が話しているソバから質問できちゃうような、気さくで有意義な会だった。

ところで、最近とても歴史に興味がある。
だから、歴史に関する話は積極的に聞くようにしている。

(僕にとって)先が見えない時代なので、歴史から何かを掴みたいと思っているのがその理由で、・・・勿論、歴史がいつも繰り返されるわけでは無いからアレだけど、時代状況が似てくると、人の指向や行動も同じ傾向になるから、無駄ではないと思っている。

とりあえず明治初期と戦後、ぐらいを読み始めている。
画:hiromichi yasuda




2013年4月22日月曜日

建築の模型

今やっているプロジェクトの模型を作り始めた。
と言っても、設計している建物、では無くて、周辺の建物模型だ。

僕の事務所では、だいたい周辺の模型から作り始める。
そうやって、隣にどんな建物が建っていて、そこがどんな場所か・・・ということが、徐々に「ボリューム」として整理されていく。

この、「ボリューム」というのが大事で、周辺を(街を)立体的に捉える事で、お隣さんから落ちる影とか、風とか、視界の抜けととかが朧げながら見えてくる。
これをやらずに、周辺が見えてないまま設計すると、大きな怪我をすることがある。

周辺模型を作ることは、建物を設計するうえでの「準備体操」みたいなモノか。

画:hiromichi yasuda

2013年4月21日日曜日

吉村順三さんの湘南の家

昨日、「湘南の家」を見てきた。
湘南の家は、1966年に、建築家の吉村順三さん設計で作られた家。
3年前から売りに出ていて、今回不動産やさんがその内覧会を開いてくれた。

以前、外からだけは見た事があって、軒が低い家だな〜と思っていた

今回は、内部まで隅々見られる絶好の機会だったので、仕事もそっちのけで、横浜の友人とイソイソと(湘南の磯に)出かけた。期待に違わず素敵な住宅だった。

ギリギリまで軒を低くしているから、外観のプロポーションがいい。
気持ちのよいアプローチになっていて・・・と、
ただこんなに屋根が低くて、「インテリア」は大丈夫か?とやや心配になる。

玄関を開けると、その不安は一気に払拭される。
リビングに向かって若干床を下げているのと、天井(屋根)も見た目で判るように「ムクリ」があるので、懐の深い感じになっている。低い天井がむしろ心地よい空間になっていて、さらに海に向かって大きな窓があって、やっぱり低い軒先が、海の水平線と平行に風景を切り取っている。
ソファーに腰を下ろして、一日中海を眺めて過ごしたくなるリビングだ。

と、まあ、まだまだ説明が足りないけれど、とてもよく考えられていて、目から鱗が何枚落ちた事か・・・・その心地よさにずいぶん長く滞在してしまった。

ただ、ちょっとアレなのは売値で・・・3億超の価格には、目が点になる。
僕にはムリ。

画:hiromichi yasuda



2013年4月19日金曜日

気が付いたらもう・・

気が付いたらもうこの歳になっていた・・・という話ではなくて、もう明日は土曜日。一週間も終わり。

今週は幾つかやらなきゃならない事があって、それに集中しているうちに、あっという間に1週間が過ぎようとしている。

光陰矢の如し、とは言うけれど、気が付くのはいつもコトが終わってから。
「あっという間」が前もって判っていれば、ため息をつくことも無いのに。

画:hiromichi yasuda

2013年4月16日火曜日

中高年のランドセル

アマゾンで購入したランドセルが届いた。
ランドセルと言っても、大人のランドセルで、最近では3wayバッグと呼ぶらしい。
手提げ+肩かけ+背負う・・・3つの方法で使えるから3wayバッグ。

カナダのMARSUSというブランド。
自転車に乗るからランドセルのように背負えたモノが欲しかったが、そこそこスタイリッシュな物を探していたらこのブランドに行きついた。

佐川急便の兄ちゃんから荷物を受け取ると、すぐに中身を確認。
箱を開けるワクワク感は子供とおんなじで、実物を見て最高潮に達する。
おお〜!
画:hiromichi yasuda




2013年4月15日月曜日

気持ちの整理の仕方

思うようにならず凹んだり、プレッシャーでペチャンコになったり、憂鬱で気が重くなったりと、まあイロイロ経験する。

でも、凹んだりペチャンコになったら膨らむ事もあるし、重くなるなら軽くなる事もある、と考えると幾分楽になる。

人間万事塞翁が馬とか、禍福は糾える縄の如しとか、昔の人は上手い事言ったモノで、
その諺を[思い浮かべる]だけでずいぶん楽になる。


画:hiromichi yasuda




2013年4月14日日曜日

故郷へ帰省して、久しぶりに会った友人

中学時代の友人で、webや、システムの製作をしているのと話をした。ITの仕事はよく判らないのだけど、よくよく聞くと、[人を繋げる]仕事?という感じか。


彼は、故郷に戻って10余年、公共事業、街づくり、地産地消の仕組みなど、いろいろ不具合が見えてきて、改善の努力をしているのだけど、なかなか思うように進まない。
今、手をつけないと・・と、湖西市[←僕らの故郷]の今後を憂いている。


中学を卒業して以来の友人だから、「最近どうしてる?」という話題から始まったのだけど、30年というブランクも感じず、膝を突き合わせて3時間を超える議論になった。

高い志を持って、奮闘中。
なんとか、力になろう。
画:hiromichiyasuda



2013年4月10日水曜日

上海から来た友人

大学時代に、同じ研究室にいた中国の留学生だった友人。
現在は、上海清水(建設)で仕事をしているのだけど、ちょくちょく来日して、年に数回会う。

僕の中国観は、彼との会話で感じる事が多いのだけど、価値観というか、ものの感受性は、やはり違いを感じる。

「いまどんな仕事をしているか?」という話になった時、彼はよく規模(建築面積)に還元する。
勿論、建築における「大きさ」は、売上げや社会性、関わる人間の多さに直結するから、日本でも重要な仕事だけれど、彼の話を聞いていると、それ以上にもっと深いところで「大きさ」に対する信頼を感じる。大きい事は人間にとってもいい事だみたいな・・・

対して、同じ質問に対して、ぼくらは「面白い」仕事かどうか?と答える事がある。小さくたってなんだって、自分が面白い仕事は人間にとっていい事だみたいな・・・・

「大きい」と「面白い」は全然水準の違う話なのでアレなんですが・・・
でも、こうした話ができるのはなぜか楽しい。
画:hiromichi yasuda




2013年4月8日月曜日

明るい事は軽い事。

40代も後半になると、目が疲れやすくなる。

そろそろ日が落ちた頃が疲れのピークで、暗くなりかけた時間帯がもっとも活字が読み辛い。老眼というのは、近くが見辛くなると言われるけれど、「暗さ」に対しても弱くなってる気がする。

そう言えば、「明るい」と言う言葉、元々は「軽い」と語源が一緒だったと聞いた事がある。「明るい」と、気持ちも「軽く」なる、ということで、心理的な共通点があるからかしら?

そんな事を考えてたら、英語でも、「light」って「明かり」と「軽い」の両方の意味がある。

う〜ん、これは偶然じゃありませんぞ。
「暗く」なって、文字が読めなくって気分も「暗く」なった時、「明かり」が灯ると、気持ちも「軽く」なる・・と言う事だ。

なるほどね・・・・









2013年4月7日日曜日

MZアーツでのお茶会に参加して

今日、ギャラリー[MZアーツ]で開かれたお茶会に参加した。
お茶会は、ギャラリーの企画運営をしている仲原さんのアイディア。


お茶会の席には数回出た事があるけれど、ギャラリーを使っての茶会は初めて。
こじんまりしたインテリアなので、数人程度のお茶会には丁度良いスケールで、それぞれに配置された茶器や生け花なども丁寧に選ばれた品物だった。
亭主である村松宗亮さんのお手前も良くって、所作はシャンとしていていかにも小気味好い。

僕も名前ぐらいは知っている、加藤唐九郎とか、魯山人などにゆかりがある茶器が出てきて、一つ数万から十数万する器でグビグビ飲むのもなかなか良い。
画:hiromichi yasuda

[MZアーツ]
     昨年、我社で設計監理した陶磁器と現代アートのギャラリー

2013年4月5日金曜日

今から17年前に担当した建物

先日、「横浜市仲町台地区センター」に行ってきた。
建築家を志して、設計事務所(ワークステーション)に勤めて最初に担当した建物だ。

今もハッキリ覚えているけれど、竣工した当時、日が暮れてガラスにインテリアが映った姿がとてもクリアで奇麗だった。

それから17年、久しぶりに訪ねた地区センターは、ちびっ子とお母さん達で賑わっていた。

この建物はロビーが見せ場なのだけど、着座して本を読んだりお喋りしている子供達が、このロビーをより生き生きとした空間にしている。

自分が担当したから差し引いて考えなきゃいけないけど、今見てもナイスな建物だった。
画:hiromichi yasuda



2013年4月4日木曜日

左手と右手の仕事

先日、明治大学の先生からこんな話を聞いた。
左手と右手の仕事の話。

左手でやる仕事は、特にやりたい訳では無いけれど経済的理由であったり、あるいは、何らかの形でお願いされた仕事。
引受ける理由は様々あるけれど、自分でなければ出来ない仕事か?というとそうでもない仕事。

右手でやる仕事は、自分がやりたい仕事、というかやるべき仕事。
専門性が高く、今後の人生で重要と思われる仕事。
理想は、右手の仕事で糧を得ること。

左手の仕事ばかりに追われていると、そのうちに自分が無くなっていく。
右手の仕事ばかりを主張していると、社会で孤立していく・あるいは困窮する。

左手の仕事に追われている人は、右手の仕事を忘れずおく。
右手の仕事が少ない人は、左手の仕事もやってみる。それが高じて右手に活かされるかもしれない。

という話。


2013年4月3日水曜日

振り返る習慣

紅茶を飲み終わってさあ帰ろうと席を立って歩き出した喫茶店で、
あるいは、目的の駅に着いたので、座席から立ち上がってドアの前まで進んだ電車で
決まって、振り返るようになった。
今まで座っていた座席周辺を。

後ろ髪を引かれる訳でも、呼び止める人がいる訳でも無いけれど
振り返るのが習慣になった。

忘れ物はないかしら?

でも、早速効果が出始めた。
今日は、ビニル傘を一つ無くさずにすんだ。

画:hiromichi yasuda





2013年4月1日月曜日

花見の季節

先週は来客が多かった・・・

事務所が川沿いで、桜並木に面している。
この時期、窓から見える桜が奇麗で癒されるんだけど、花見客も多くて、中には知人が混じっていたりする。

夕刻、桜の下から僕を呼ぶ声が聞こえるから窓を開けると、知っている顔が手を降っている。花見がてら(僕の)事務所の前を通ったから、声をかけたとか。

コップを口に当てる真似をして、「これから軽く、行く?!」と。
突然とはいえ、誘われたらしょうがない。

そんなこんなが、二夜連続。
画:hiromichi yasuda